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躁鬱病(BPⅡ)トウビョウブログ
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 9月10日の回に書いた、神田橋條治氏の「精神療法面接のコツ」(岩崎学術出版社)から受けた示唆の続きを、遅ればせながら書こうと思う。第8章の「関係の中の治療者と被治療者」を読んで救われたと感じたわたしは、さらに最終11章の「落ち穂ひろい」で目を開かれるような読書体験をした(P227~228)。
 それは一見ありふれていて、うっかりすると、その意味するところの深長さを見逃してしまいそうな記述だった。始まりは、駆け出し時代の挫折感の回想だ。しかし、神田橋氏は「苦しくてもがいていると、思いがけない展開で水面に浮かび上がれ、患者ともども息がつけるという体験」を重ねる。それで「道は必ず開ける」と信じるようになる。
 と、ここまでは、よくある年長者の人生訓のようでしかない。が、氏はなぜ道が開けるのかを探りたいと考える。そして「窮すれば通ずの元の形が『窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず』であること」を知る。その後の逆回しの言い換えが分かり易い。

<通じるためには変化しなくてはならず、変化するには充分に窮しなくてはならない>

 神田橋氏は、この言葉に触れた瞬間に「把握感があった」と振り返っているが、同様の感覚は読者であるわたしにも、実感を伴って電撃的に訪れた。
 当時の主治医と決裂した前後のわたしは、まさに「窮していた」。これまでここには詳しく書かなかったが、わたしと主治医の対立は、主治医がわたしに対する治療効果に疑問を感じ、治療の枠組みを変えようとしたことに起因していた(本当はもっと込み入っているんだけど)。たぶんお互いに、あと一歩のところですっきりしない症状に、とても苛々していた。今思えば、その苛立ちが、一気に決裂を招いた一因だった。
 しかし、神田橋氏の言葉は、わたしの発想を180度転換させた。それまでのわたしは、窮することをネガティブに捉えることしか知らなかった。しかし、実際には<窮地>とは、着実な進歩の末にしか訪れ得ないということに、わたしは初めて思い至った。
 当時、わたしが本当に窮していたのだとすれば、それは病院にかかって休職して以降、一歩一歩進んできたからなのだと思えるようになった。やっと辿り着けた、その地平を窮地と名付ける。そのラインを、真に<通じる>ための始まりにする。もしこれが、治し/治るためのレトリックだとしても、ぜんぜん構わないじゃないか。
 ただ、不幸なことに当時、わたしも主治医もたぶん、そう考えることができなかった。窮していることまでは分かっていたのに、それをチャンスにすることができなかった。惜しいことだったと、今なら思う。主治医はわたしに、一度ならず「変わっていない」と言ったけれど、わたしは確かに変化し続け、進み続けていたんじゃなかったか。少なくとも、そんな風に捉え直し、治療の好機に変えることが可能だったんじゃないか。

 「早め早めに窮していくのがコツであると連想した」と、神田橋氏は続ける。なんという発想の転換だろう。こういう、あえての視点のずらし方は、簡単なようでいてその実、とても難しいことだと思う。経験の裏打ちがなければ得られない、まさに熟練の「コツ」なんだろう。だが、幸いなことに、わたしはこの本と出合ったことで、その視座を早めに得ることができた。窮状をもポジティブに捉える術を知った。そして、それは臨床の場面においてだけでなく、人生のすべての局面で言えることなんだと感じるようになっていった。そのことは、ごく自然で、新鮮な驚きを、わたしにもたらした。
 精神状態はその後、安定に向かった。その平衡はそう長くは続かなかったのだが、以前のように窮していると思って悩むことは、ほとんどなくなった。自分の前進を、もちろんしばしば自信が揺らぐとはいえ、徐々に信頼することができるようになっていった。
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