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躁鬱病(BPⅡ)トウビョウブログ
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 このブログは記録として始めた。だから取り繕いたくないし、いいときも悪いときも、苛立ちも混乱もすべて、なるべくそのままに書きたいと思っている。
 たとえば今、死にたい。死んじゃいたい。本当は夕べから、断続的に続いている。でも、実行はしない。その程度の希死念慮であることは分かっているから、もしわたしの身を案じてくれるひとがいるなら、心配はしないでほしい。本当にやることはないし、心配してもらうために書いているわけじゃないから。いや、心配を欲していることを、完全には否定できないけども。
 とにかくの、死にたい気持ち。悲しいとか、寂しいとか、苦しいとか、そういうのじゃない。ただ、死にたい。昨日はイライラして死にたかった。イライラして死にたいなんて理解されるのか分からない。わたしも、昔なら意味が分からなかったと思うから。
 でも、どうやらひとは、それらしい意味なんかなくても死にたくなることがあるし、なかにはそのせいで本当に死んでしまうことがあるみたいだ。今日のわたしは大丈夫だけれど、こういう日があることも記しておかなければならないと思った。日々の揺らぎを記録することを、選んだ者として。

 山田詠美の短編「MENU」(文春文庫『姫君』所収)の主人公は、5歳のとき、母親の自殺を目撃する。カーテンレールにぶら下がった母親を見ながら、第一発見者の「ぼく」は菓子パンと飲むヨーグルトを飲む。高校生になった彼の回想。
 「ぼくは、母に感謝している。彼女は死ぬことによって、ぼくにその先の指針のようなものを与えてくれた。人に必要とされてしまったら、死ぬ自由すら手に入れることが出来ないのを教えてくれた。そして、ある人間を必要としてしまったら、その人の自由を奪ってしまうことも。ぼくは、生きるのが楽だと思いたい。記憶は溜まって行くが、そこに何の不純物も付随させたくないのだ」
 わたしも、生きるのが楽だと思いたい。でも、ひとを必要とせず、ひとに必要とされず、生きていくことなんてできないから、わたしたちは死ぬのを躊躇せずにはいられないんだろう。すでに澱のようにたまってしまった「不純物」を取り除くことさえ、きっと、わたしたちの手には余ってしまう。
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