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躁鬱病(BPⅡ)トウビョウブログ
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 北丸雄二さんがブログで指摘しているけれど、わたしも「文部科学大臣からのお願い」という文書の空疎さに呆れたひとりだ。もしもわたしがいじめられている渦中に、学校世界の代表みたいな立場のひとから「話せば楽になるからね」などと言われたら、絶望が決定的なところまで深まるだけだろう。もっと死にたくなるかも知れない。
 北丸さんは「ほんとうにいじめられている子たちに届くメッセージを発表したいなら、予算を割いて谷川俊太郎ら世の詩人たちに詩を書いてもらえばよいのである」と書いている。以前にも書いたことがあるが、わたしが病気になってからよく読むようになったのは、その谷川俊太郎の詩集だ。病気といじめでは事情が違うが、死にたいという気持ちに於いては変わらない。前に書いたのは「生きる」という詩のことだったが、今回は角川文庫の谷川俊太郎詩集Ⅰの題名にもなっている「空の青さをみつめていると」を紹介したい(「六十二のソネット」41)。


 空の青さをみつめていると
 私に帰るところがあるような気がする
 だが空を通つてきた明るさは
 もはや空へは帰つてゆかない

 陽は絶えず豪華に捨てている
 夜になつても私達は拾うのに忙しい
 人はすべていやしい生れなので
 樹のように豊かに休むことがない

 窓があふれたものを切り取つている
 私は宇宙以外の部屋を欲しない
 そのため私は人と不和になる

 在ることは空間や時間を傷つけることだ
 そして痛みがむしろ私を責める
 私が去ると私の健康が戻つてくるだろう


 最後の1行は死をイメージさせるようにも読める。しかし、わたしが青い空の下で、この詩を繰り返し繰り返し読んで考えていたのは、紛れもなく生のことだった。その理由をわたしの空疎な言葉を費やして説明するのは虚しいので止めておきます。
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