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躁鬱病(BPⅡ)トウビョウブログ
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 一昨日の夜は、読書をしていて、気付いたら午前1時半になっていた。読書と言っても、ここ数日は次々と新しい本を手に取っては途中で放り出してしまうので、読み終わるということがない。再読していた岩波明の「狂気という隣人」もそのままに、<看護できない患者はいない!>と銘打たれた「看護のための精神医学」(中井久夫・山口直彦著、医学書院)、数寄屋橋での辻説法で知られた右翼・赤尾敏の奇天烈な生涯を描いた「評伝・赤尾敏」(猪野健治著、オール出版)へ。我ながら全く脈絡がない。やはり軽躁化しているのか。
 読書の進み方も気分をはかる指標になりそうなのだが、まだ体得できない。言えるのは、猛烈に捗るときと集中できないときとがあって、厄介なことに、必ずしも前者の方が軽躁時とは限らないということである。軽躁になると頭の回転が早くなるので、読書にもよさそうなものだが、わたしの場合、じっと本なんて読んでいられなくなる。鬱のときは逆に、頭がぼんやりして、内容がスムーズに理解できなくなる。となると、猛烈に捗るのは、どういうタイミングなのか。法則性がありそうな予感はあるのだが、掴み切れないでいる。

 さて、半端な読書は中断して早く寝なければと床に就いてみたものの、全く寝付けそうにない。携帯を弄っていたら、入院中にSと撮った写真が出てきた。尋ねたことはなかったが、Sは多分、慢性の統合失調症だった。入院して10年。連想が豊かなうえ早口で喋るので、言わんとすることを理解するのが難しかった。スタッフでも「うん、うん」と適当に相槌を打っているひとが多かった。症状なのか陽性で、突拍子もなく面白く感じられるので、悪意はなくても笑って応じてしまうことが多かった。
 自分も含め、そんなあしらい方をするのに嫌悪感があった。こんな環境ではよくならないのではないかと、憤慨するような気持ちもあった。<精神障害者であるわたしたち>が、軽んじられているようで嫌だったのかも知れない。どう接するべきなのか考えあぐね、自宅にあった「カプラン臨床精神医学ハンドブック(第2版)」で調べた。面接技法として、こう書いてあった。「重要な課題は、統合失調症者が感じている内的混沌、寂しさ、恐怖を軽減できるように助けることである」。衝かれるような思いがあった。無邪気なSの内面の苦しみを、想像したことがなかった。続いて10項目の注意事項が挙げてあった。
 「耳を傾けること。患者が世界をどう体験しているか。恐れているか、悲しんでいるか、怒っているか、絶望しているか」「何かを言わなくてはならないと感じてはならない。注意深く聴くことで、語るべき重要なことをもっているひとりの人間であると信じていることが伝えられる」「反射的に笑ってはならない。笑うことは軽蔑の感情を伝え、根底的な恐怖と絶望に対する理解の不足を伝えることになる」(抜粋)
 実践できたか分からないが、わたしはこのことを心に留めて、Sに対するようにした。話してみると、Sの時間は高校生くらいで止まっているようだった。Sはわたしのことを、お姉ちゃんの親友の名前で呼ぶことが多くなった。わたしはSのことを、高校時代の同級生のように感じ始めた。干渉し過ぎないようにする、微妙な距離の取り方も、何となく分かるようになった。
 周りは、わたしが変な慈愛でSに優しくしていると考えているようだった。スタッフから、お礼を言われると困惑した。でも、Sといるのは純粋に楽しかった。デイルームの畳に並んで寝っ転がって、Sの家の商売のことを教えて貰った。2人でよく一緒にお風呂に入った。看護師に早く寝ろと急かされながら、Sの好きな俳優の出ているドラマを就寝時間ぎりぎりまで見た。わたしが退院する日、Sは見送りに来なかった。ナースステーション前の長椅子に一人で座っている姿を見たのが、最後になった。その気持ちを、わたしは分かるような気がした。それは特別な技法以前の、当たり前の感情のひだだと思えた。

 自己欺瞞だっただろうか。「内的混沌」に苦しむ患者像も押し付けただけの物語なのだろうか。写真を見ていたら、涙が出てきた。鬱の涙とは違う。軽躁のときの情緒不安定な涙、とでも言えば伝わるだろうか。それでデパスではなく、セロクエル12・5ミリグラムを追加して寝た。昨日の日中は眠気とだるさと吐き気が強く、早く寝るために予めデパス1ミリを追加して、午後10時半に就寝した。今朝は午前4時半に目が覚め、午前6時にファミリーレストランで朝食を食べたら、正午前に力尽きた。
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笑い
きたまる 2006/07/13 (Thu) 00:04:59 EDIT
このカプランの面接技法ですが、「反射的に笑ってはならない」という部分、この「笑い」の意味が西洋とアジアでは違うと思うので一概に適用できないんじゃないかと思います。

「笑い」って、欧米では可笑しい、滑稽なことに対する反応です。日本のように、向うが真面目な話をしているときにニコニコしながら聞いていると「なにか可笑しい点があるか?」と訊かれてしまうほどです。そんなときはぜったいに微笑みなども浮かべず、真面目な顔で聴いていなければならない。その辺の社会的なジェスチャーの意味合いの違いがあるのではないでしょうか。したがって、日本では逆に、何気なく微笑みながら聴いていたりときに笑いとともに相づちを打ったりするのも、むしろ勧められることもあるのではないかと思った次第。

しかし、昨日の記述といい、すごい文章です。「一日」という作品を形にしているというような、強いての客観性が身につまされます。
こうして書くことで、例えば毎夜の夢が私たちのストレスを燃やしてくれているように、あなたの何かが昇華していってくれていればよいのですが。


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