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躁鬱病(BPⅡ)トウビョウブログ
2025.05.13 Tue 14:49:18
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鬱のどん底から一転、「躁転」した日のことは忘れ難い。皮肉ではなく、これまでの人生の中で、最初の恋愛の次に幸せだったかも知れない。あんな純粋な幸福感は、あれ以来、味わったことがない。今思えば軽躁の症状なのだが、あまりの幸福さに、突然、日記を書き始めてしまったほどだった。 その日の日記から引用する。「昨日は午後ずっと外出していたはずなのに、夜中にやはり目が覚めた。3時と6時頃。3時の方はすぐ寝られたと思う。正午くらいまでまた寝て、マックに行こうと思って出たが、せっかくなので歩いてSへ。カツレツを食べ、コーヒーを飲んだら、幸せだと思った。生きていると、幸せなことがたくさんあると感じた。誰かにそれを言いたくなって、Iにメール。2杯目を飲んで、これを書き始めた。コーヒーを飲んで感じる幸せを、こんなに愛おしく思えるのは、鬱になったからこそだと思う。何のために生きているのかとか、こんな仕事をしていて何の意味があるのかとか、ここ数ヶ月で考えたことについて、病気がそう考えさせたのだと思ったりもしたが、そうやって切り捨ててしまうのは虚しい。そんなことを言ったら、種々の哲学や小説だって、同じかも知れない。だから、やはり考えるべくして考えたのだし、考える意味があったのだと思った方がいい。きっとまた悪い日がくると思うが、そのときは今日のこのコーヒーのことを思い出せばいい」 「躁鬱病宣言」に書いた通り、この数日後にわたしは再び、鬱に逆戻りした。そして、あまりの振幅の激しさに、鬱病ではなく躁鬱病なのではないかと疑い始めた。次の診察で過去の軽躁と思われる症状を主治医に訴えると、気分安定薬のテグレトールが処方に加えられた。果たして、今は双極Ⅱ型障害と診断されている。鬱から躁鬱へ。この転換は、わたしにとって大きな苦痛を伴った。予想外で、受け容れ難い病名だった。 気分の乱高下が始まった。抗鬱剤で躁転したことで不安定化したのだろうと思うが、真相は分からない。陽気になったと思えば泣き出し、激しく怒ったと思えば沈み込み、次の瞬間には死にたいという衝動に苦しんだ。知識も経験もないから、鬱なのか躁なのか区別することもできない。フラットに見える日もあったが、<今日の自分>が明日も続いているのか見通せなかった。どれが本当の自分か分からなくなった。そういう意味で言えば、終わりの始まりのようだった。それなのに大切な日として刻まれているから不思議だ。 その頃、わたしは鬱と飲み始めたばかりの薬の副作用で、起き上がるのも大儀だった。それがあの日は身体がひどく軽くなっていて驚いた。別人の身体にすげ替わったようだった。外に出て、大通りを歩きながら顔を上げた。銀杏の黄と空の青のコントラストに目を奪われた。思うように仕事をしていたとき、こんな風に周りを眺めることがあっただろうか、と考えた。今と昔と、どちらが幸せか簡単に言えるだろうか。 陳腐な思い付きだった。でも、陳腐な物事のなかにこそ、真理があるのではないかと考え始めたのも、この頃からだった。足をのばして入ったレストランのカツレツは美味しく、コーヒーは文字通り身体に染み入るようだった。こういう瞬間のためだけにでも、生きている意味はあると思えた。 すぐに霧散してしまった人生の手触り、病気がわたしに見せた錯覚だったのかも知れない。だから、今も日記を読み返すときは、必ず苦笑してみる。苦笑いを作りながら、でも何度でも、あの日のページを繰らずにはいられないのだ。 PR Comments
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