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躁鬱病(BPⅡ)トウビョウブログ
2025.05.13 Tue 13:20:10
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 2006.07.20 Thu 18:52:20
就職が決まったとき、大先輩が吉本隆明の詩「ちひさな群への挨拶」を贈ってくれた。最初はよく理解できなかったこの詩が、次第に自分の中で意味をなすようになり、さらにその意味合いは変わっていった。精神的な支えだった時期もある。 …… ぼくの孤独はほとんど極限(リミット)に耐えられる ぼくの肉体はほとんど過酷に耐えられる ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる もたれあふことを嫌った反抗がたふれる ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を 湿つた忍従の穴へ埋めるにきまってゐる ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす …… 自分を鼓舞するように唱えた。若かった吉本の、闘争の決意。21歳で自殺した歌人の岸上大作は、絶筆に「吉本さん!『ぼくは拒絶された思想となって、その意味のために生きよう』とうたったあなたの鉄のような強さたくましさがうらやましい」と書いた。同じように、わたしの読み方も悲壮すぎて、そのくせ吉本の孤独の深さを、今よりもっと分かっていなかった。そんなところが自分や周りを追い詰めたのかも知れないと、振り返ってみたりする。今は同じ一節に、駆り立てられるより慰撫される。 病気になってからは、谷川俊太郎が好きになった。「生きる」という詩を、書店の店先で初めて読んだときは、目を開かれるようだった。 生かす 六月の百合の花が私を生かす 死んだ魚が生かす 雨に濡れた仔犬が その日の夕焼けが私を生かす 生かす 忘れられぬ記憶が生かす 死に神が私を生かす 生かす ふとふりむいた一つの顔が私を生かす 愛は盲目の蛇 ねじれた臍の緒 赤錆びた鎖 仔犬の腕 生きるは、生かされる。この当たり前のような転換に、何度も救われた。読むごとに、わたしを生かしてくれるものも増えていくような気がした。 今夜は吉野弘が長女の誕生に寄せて書いた「奈々子に」を読む。子どもの視点から読む。赤ん坊の頬の描写で始まるこの詩は、我が子に語り掛けるような調子で続く。 唐突だが 奈々子 お父さんは お前に 多くを期待しないだろう。 ひとが ほかからの期待に応えようとして どんなに 自分を駄目にしてしまうか お父さんは はっきり 知ってしまったから。 …… お父さんにも お母さんにも 酸っぱい苦労がふえた。 苦労は 今は お前にあげられない。 お前にあげたいものは 香りのよい健康と かちとるにむづかしく はぐくむにむづかしい 自分を愛する心だ。 PR Comments
ヘンリー・ミラーのどっちかの回帰線の中に、次のような言い回しがあった。
「中国語ではね、be動詞は、他動詞なんだよ」 生きる、と、生かす、の関係だ。 それを読んだのはたしか高校生のときで、どんな文脈だったかはもう憶えていないけど、なんだかすごく感動した。 で、NYに来て、中国人にそれを確かめたら、実際は、よくわからなかった。be動詞? 存在する=existが、存在させるという他動詞にはなり得るのか? ヘンリー・ミラーがなにをどう伝えようとしたのか、文法的には曖昧。 なんだ、くそ。
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