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躁鬱病(BPⅡ)トウビョウブログ
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 死にたい気持ちに支配されたと思えば、数時間後にはけろっとする。自分自身が死を軽んじ、弄んでいるように感じられて、悔しい。感情が転換する自分を嫌悪する。
 お風呂で山田太一が編んだ「生きるかなしみ」(ちくま文庫)を読む。夢野九作の長男、杉山龍丸(87年没)の「ふたつの悲しみ」という文章には、杉山の第二次大戦後の経験が書いてある。
 杉山は復員の事務に就き、留守家族に「貴方の息子さんは、御主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていた」。ふたつの悲しみのふたつ目は、ある少女が訪ねてきた時の描写だ(一部抜粋)。

 「あたち、小学校二年生なの。おとうちゃんは、フィリッピンに行ったの。おとうちゃんの名は、○○○○なの。いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。それで、それで、わたしに、この手紙をもって、おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの」
 ……
 私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンのバギオで、戦死になっていた。
 「あなたのお父さんは--」
といいかけて、私は少女の顔を見た。
 やせた、真っ黒な顔、伸びたオカッパの下に切れの長い眼を、一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。
 私は少女に答えねばならぬ。答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
 「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」
といって、声がつづかなくなった。
 瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。
 涙が、眼一ぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。
 それを見ている内に、私の眼が、涙にあふれて、ほほをつたわりはじめた。
 わたしの方が声をあげて泣きたくなった。しかし、少女は、
 「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。おとうちゃまが、戦死していたら、係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、じょうきょう、じょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの」
 私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、紙の上にポタ、ポタ、涙が落ちて、書けなくなった。
 ……
 (少女は)涙一滴、落さず、一声も声をあげなかった。
 肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞきこむと、下くちびるを血がでるようにかみしめて、カッと眼を開いて肩で息をしていた。

 湯船のなかで自然と涙が出てきた。鬱の涙でも躁の涙でもない。自分を恥じ入るような気持ちだった。山田太一は「こうした記録を前にして、なお平然として沈黙を知らぬ人に、ひかえめにいっても私は嫌悪を抱く」と書き添えている。わたしは平然とせず、沈黙し、涙を流した。が、そうであってもなお、自らへの嫌悪を抑えきれなかった。
 「下くちびるを血がでるようにかみしめて、カッと眼を開いて」。わたしは、そんなふうに踏ん張って生きてはいない。感情に操られ、泣いて、死にたくなって、それをすぐ忘れる。その繰り返しだ。少しでも気分をフラットに保てるように、わたしはもっと努力しなければならない。決められた薬を飲み、睡眠を十分とり、規則正しい生活を送り、仕事の量を調節する。
 死にたいなどと、安易に言わないように。わたしのことを思ってくれるひとたちを、悲しませないように。できることなら同じ病気のひとたちと、共闘するような気持ちで。
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