カレンダー
最新記事
(11/16)
(11/15)
(11/07)
(10/28)
(08/26)
(08/06)
(07/05)
(06/25)
(06/22)
(06/21) アーカイブ
カウンター
リンク
最新トラックバック
|
躁鬱病(BPⅡ)トウビョウブログ
2025.05.11 Sun 00:59:47
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 2007.06.20 Wed 20:34:51
第4回開高健ノンフィクション賞を獲った伊藤乾「さよなら、サイレント・ネイビー」(集英社)を読んだ。地下鉄サリン事件の実行犯として殺人罪などに問われた豊田亨被告=東京高裁で死刑判決を受け上告中=の東大時代の同級生が、東大助教授の職にある自分とオウムに入信した友人を隔てたものは何だったのかを追及した作品だ。数多あるサリン事件の本と読み比べていないので、曖昧な言い方しか出来ないが、第二次世界大戦と比較しながらマインド・コントロールの本質を衝こうとする切り口は、とても斬新に感じられた。筆者が作曲家・指揮者であることもあり、玉音放送など「音」を重要な手掛かりとして探っていく過程もスリリングで、こなれない書き方を補って余りあるものがあった。 この本の本質とはややずれるのだが、わたしが現在の自分のことと絡めて気になったのは「創発」という概念だった。複雑系が流行った頃にブームになったらしいが、わたしはこの本で初めて知った。伊藤によると、この考え方の生みの親と言ってもいいのが、ベルギー国籍のユダヤ系物理化学者イリヤ・プリコジンだという。以下、引用(P78)。 「ロシア革命直前のモスクワで富裕なユダヤ人の家に生まれたプリゴジンは、乳児のうちに家財の大半を失ってベルリンに亡命する。ナチスドイツが台頭したときプリゴジンは16歳だった。彼の一家は難を避けてドイツからベルギーに亡命した。そんな彼が終生、正面から向き合った問題は『時間と歴史の不可逆性』だった」 伊藤は97年、来日したプリゴジンにインタビューする。 本来の創発の意味は、一口で言えば「物事の総体が、個々の構成要素とは全く異なる働きをすること」というような意味だと思う。プリコジンの言葉を借りて言い換えれば、「個別の人間をいくら研究しても、その人間がどんな人間集団として活動するかによって、引き起こされる現象の<ダイナミクス>、つまり動力学は全く異なってしまうのです」ということになる。伊藤はここで、軍隊やオウムのことを想起し、こう尋ねてみる。「戦争やファシズムもまた、創発したと言ってよいですね」 この問いに対する答えに、わたしは創発という概念を越えた、生きるうえでの叡智を授けられたような気分になった。以下、再び引用(P80)。 「戦争は、まさに創発するものです。革命も創発する。ファシズムも創発する。自然科学者も人文社会科学者も、建設的でより良い例で創発の概念を語る傾向がありますが、私たちが歴史の不可逆性を考える上で、一番大切なことは、建設と破壊を共に正確に扱うこと、個人と集団の生や死を、正確に、慎重に取り扱うことだと思います。逆戻りができないプロセスこそが、あらゆる人間のかけがえのない価値を生み出しているのですから」 過労死もイジメ自殺も創発する。自殺者3万人の時代もまた、創発したと言えるだろう。そして、程度はどうあれ、わたし自身もその予備軍と言って差し支えないと思う。ほんの少し前まで、人生のネジをある時点まで巻き戻せば元通りになるんじゃないかと夢想していた。しかし、歴史がそうであるように、個人の人生もまた、当然のことながら可逆的であるはずがない。一車線の人生、不可逆の人生を、わたしは受け入れることにした。そして、それは当然のことながら、人生を放り投げるという意味ではない。 過去や現在の破壊的な事象。が、その先に建設のプロセスを積み上げることが出来ないはずがあるだろうか。わたしは、病気と共に在ったとしても、きっと、新しい人生を切り拓いてみせよう。 PR |