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躁鬱病(BPⅡ)トウビョウブログ
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 この前、裸足でベランダから下を見下ろしたら、あまりにも近くて、これじゃあ骨折もしないで着地できちゃうなと苦笑した。軽躁がひどい時に掃除して以来、埃が積もり放題のベランダから部屋に戻ると足の裏がひどく汚れていて、手でごしごしと擦ってから、またベッドに潜った。今日の診察で先生にその話をしたら、先生も笑った。
 漢方を飲み始めたせいか季節のせいか何なのかよく分からないが、最近、調子が悪くない。ただ、その割りには、症状の一群から希死念慮という項目が観念として抜け落ちてしまったかのように、執拗にまとわりついて離れない。「(自殺を)どんなふうに考えるんですか」と先生が聞くから、「例えば、アメリカで銃の乱射が起きたり、長崎市長が銃殺されたりするニュースに触れると、死にたい人間はたくさんいるのに、どうしてそうでないひとが犠牲になるんだろうと考える」と答えた。どうせならわたしを撃ってくれればよかったのにと思う、と。先生には言わなかったが、殺人請負サイトを舞台にした嘱託殺人事件のことなんかもよく考える。自分では死ねないから、ひとに殺してほしいという気持ちが分かってしまう。見知らぬひとから背中にナイフを突き立てられるイメージを思い描いてしまう。そうなったらどんなに楽だろう、と想像を巡らす。
 どうしてこんなことばかり考えるのか、自分でもよく理解できない。先生に「希死念慮を消す薬はありませんか」と尋ねたら、勿論そんなものは存在しないとはなから分かっているんだけど、「そんなものありませんよ」とまた笑われれた。「人間なら誰でもそういう感情は抱くでしょう」などと宣うから、「しょっちゅう考えている人間は少ないでしょう」と一応反論しておいた。先生はそんなこと、考えないだろう。
 そんな訴えをしておきながら、一方では「なんだかもう治ったみたいです」とか「薬を減らせませんか」と述べている自分もいて、本当は自分が何を考え何を望んでいるのか全てに於いて分からなくなる。減薬希望は当然のように、やんわりと断られた。
 診察の後、3時間ほど都内で仕事をして帰った。夜、ひとが間違えることとひとを許すことについて考え、謝罪の電話を1本入れた。相も変わらないわたしの不寛容。

 「文藝・夏号」の柳美里特集を読み終え、ここまで生き延びて、ひとり息子を産み育て、小説家として変貌を遂げた柳美里を、心強く羨ましく感じた。
 「失われた部位のファントム・ペインとしての家庭ではなく、自らが生み出した家庭のスタート地点に柳美里は立った。呪われた家族の血としてではなく、自ら根を掘って探し当てた家族の物語を、これから彼女は世界と歴史に向けて拡張していくことになるだろう。自らの痛みの『闇に谺する声』を書くことから始まった作家柳美里の力走は、長い助走を終えて、いよいよ本格的に始まったといえるのかもしれない」(清水良典)
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