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躁鬱病(BPⅡ)トウビョウブログ
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 「僕のうちの隣りにもね、変なひとがいるんですよ。変人ってことで済んでるけど、あのひとにも診断名を付けようと思えば付けられるわけですよ」。知り合いから、そう言われた。今日会った画家は「自殺未遂の経験があって、昔は拒食症も患っていたけれど、薬は飲んだことがない」と言った。ひととの関係性の中でしか治らないと思う、と。
 両方、一理ある。でも、わたしは、そういう言い方に「まあ、そうなんですけど」と曖昧な言葉しか返せない。病気と変わっていることは別だ。境界線は自分かその周囲か社会が決めるしかないわけだが、わたしの中には昔の自分と今の自分とを隔てる明確な線が現に在る。わたしにとっては、わたしが病気であることを信じる、それが何よりの証左だ。しかし、その実感は、誰に対しても、どういう方法でも、正確には説明できない。
 気分障害は脳みその中のケミカルな問題でしかないと思う。誰が近くにいてくれようが、仕事がいくらうまく運ぼうが、治るものは治るし治らないものは治らない。わたしは薬を信奉はしていないけれど肯定しているし、科学的な「原因」の究明が進んでくれることを切に願っている。情緒的な物語に「理由」を求めたくなるのは人間の性でしかないだろう。身近な誰がが気分障害だと聞けば、何でそうなったかより、正しい薬が処方されているかが気に掛かる。わたしが繰り返すまでもないが、発病のきっかけと原因は同義ではない。翻って、そのきっかけがなくなったからと言って、治癒するとは考えない。

 石内都が傷跡のある女性の身体を撮った「イノセンス」というシリーズのモノクロ写真を見た。傷物という呼称へのアイロニー、またはアンチテーゼとしてのイノセンスというタイトル。あえて顔を捨象した写真は普遍性を帯びて迫り来る。綺麗だ、とあるひとは言った。未だに自分の傷を昇華し切れないわたしは、息苦しくて泣きそうになった。
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